〜「麺屋ちさと」誕生の物語〜
第一章:出会い
雪がこんこんと降る真冬の北海道。
あたり一面は雪に包まれ、道ゆく人々は誰しも肩をすくめて足早に帰路に就いている。
そんな中、人間の食欲というものは不思議なもので、人気ラーメン店に並ぶ行列が見える。
ポケットに手を突っ込み、ダウンジャケットに顔を半分埋めながら、決して自分の順番が抜かされないように必死に耐えて今か今かと待っている。それほどの味なのだ。
腹が減り、極力体力を使わないように待つ人々の中で、1組だけが止まらずに喋り続けている。
「だから味にこだわってなければ意味がないだろう!!!」
「馬鹿野郎!そんな味にばかりこだわってるから、いつまでも従業員も増えないし店舗も増えないんだろう!」
「ラーメンはスープが命なんだ!スープを炊くこだわりは捨てられるわけないだろう!」
「お前はこだわりすぎなんだって!毎日それで何時間スープを炊いているんだ?寝る時間取れているのか?」
「あー、いちいち兄貴はうるさいな!!」
どうやらラーメン店で働いている兄弟が喧嘩をしているようだ。
「お前の頑張りはわかるよ。でも、それだけこだわったラーメンを多くの人に届けられないと意味がないと思わないか?」
「そりゃそうだけど・・・。でも俺はどうしても化成品を使ったスープは嫌なんだ。ラーメンは体に良くないイメージがあるから、丁寧に無添加のスープを作り続けたいんだ・・・。」
「・・・それはそうなんだけど…。」
兄弟の会話は止まった。これ以上は言い合えない。おそらく二人の想いは同じなのだろう。
しかし、経営者視点に立つ兄貴と、職人気質の弟。想いは同じでも、それを歩む進路は別の手法を考えている様だった。
あんなに騒がしかった行列の一部が沈黙し、また皆がラーメンを待つのに耐えるだけの時間が流れようとしたその時、兄弟の後ろから威勢のいい声が聞こえてきた。
「それ食べてみたい!!!」
兄弟の後ろに立っていた人が急に話しかけた。
驚いて振り向く兄弟。だが、男はそんな兄弟をよそに続ける。
「そんなにこだわって、しかも無添加!そんな素晴らしいラーメンなら俺食べてみたいですよ!店教えてください」
突然の声かけに驚きを隠せない兄弟だったが、弟の方が口を開く。
「ありがとうございます。でもうちの店東京なんですよ。今日は観光で北海道に来ているだけで・・・」
そう弟が話終わる前に食い気味で話す。
「俺も東京なんですよ!!!」
男の目はキラキラ輝いていた。
この男の名は酒井と言う。
たまたま兄弟と同世代だったこの男を中心に、3人は人生を賭けたラーメン街道を走ることになる。
この日の出会いが「麺屋ちさと」のすべての始まりとなったのだ。
第二章 3人の行く末
先ほどより雪が強くなってきたようだ。完全に吹雪いている。
しかし、そんな外の風景は他所に、先ほど出会ったばかりの男3人は裸であった。
室温系の針は優に100℃を超えている。定期的に上がる湯気は熱気を伴い、さらに温度を高めていく。
そう、なぜか出会って1時間も経っていない彼らはサウナで裸の付き合いをしていたのだ。
そして、サウナの熱気よりも白熱するのは彼らのラーメントークであった。
「最近のラーメン業界ってすごいよね!競争が激しくて、どんどん新しいアイデアが生まれてる感じがする。」
そう、興奮気味に話すのは酒井だ。
「そうだね、でも同時に課題も多くあるんだよ。例えば、原材料の価格上昇や人手不足、それに衛生管理や衛生規制の厳格化も大きな問題だよね。」
そう答えるのはラーメン一筋で修行中の弟だ。
「確かにねー!昔はラーメン500〜600円のイメージがあったけど、どんどん値上がりしてるしねぇ」
「うん。あれだけ手間暇かけて、しかも原料もちゃんといいの選んで・・・、とてもじゃないけどラーメンは600円程度で食べられる代物じゃないんだ。」
「俺も弟がラーメン作り続ける現場はよく目にしてるけど、あれは大変だよ。それに加えて、新型コロナウイルスの影響で外食産業全体が打撃を受けている中、経営を安定させるのは容易ではないだろうね。」
白熱するトークだったが、終止符を打ったのは酒井だった。
「うん、とりあえず君たちのラーメンに対する熱い想いは十分伝わった!だけど、まずは出よう!俺のぼせちゃうよ!!」
そう言い、酒井の指の先には10分を経過するであろう時計の針がチクタクと動いていた。
「ビールおかわりくださーい!」
もう何本目のビールだろうか。サウナで熱った体を冷やすように酒井はビールをありったけ体に流し込んでいた。
「本当によく飲むなー、俺たちは下戸だから一杯飲むので精一杯だよ」
そう続ける兄弟の手元にあるビールはまだ半分も減っていなかった。
出会って2時間も経過していないこの青年3人は、すでにタメ口で話し合う中になっていた。
「でも、まさかあの浅草の有名ラーメン店のお孫さんだったとはなぁ」
兄弟は浅草を代表する老舗ラーメン店の家系だったのだ。
そのラーメンはまさに80年代を一世風靡したラーメンで、『ジャンキーラーメン』の走りとも言えるラーメンである。
しかし、兄弟はこのジャンキーラーメンならばこその課題を抱えていたのだ。
「俺は毎日スープの仕込みだけで8時間の準備をするんだ。ガラを洗って、丁寧に寸胴で炊き上げて・・・」
そう語る弟に、兄貴はすぐに食い掛かる。
「こいつの作るスープはすごいんだよ!でもさ、毎日こんな時間かけてられないだろう?」
兄弟の話に酒井はとても興味深そうに頷く。
「なるほどなー。でも、それだけ丁寧な仕事で作り上げるラーメンがどうして浅草のジャンキー代表ラーメンになっちゃうんだ?添加物モリモリで作り上げてからなの?」
「添加物なんて入れません!全て材料から仕込んで作るんでうちは完全無添加をコンセプトにしているんです!でも油を大量に入れたラーメンで提供するからどうしてもジャンキーなイメージなっちゃうだけなんです」
「そうなんだ!じゃあ無添加なんだ!ってことはボーンブロスじゃん!」
「…ボーンブロス?」
兄弟は初めて聞く言葉に頭にクエスチョンを浮かべながら呟いた。
二人の興味津々な顔に酒井はニヤリと笑みを浮かべると一気に捲し立てた。
「ボーンブロスっていうのは、最近流行ってる美容スープのことなんだ。芸能人や美容系インフルエンサーを中心に飲む美容液として大流行しているスープのことで、骨を炊き上げた無添加スープのことをボーンブロスっていうんだ。
どうやら、腸内フローラを整えて、体の中から綺麗にすることができるんだって。いわゆる腸活っていうやつだね!」
「へーぇ!俺たちがずっと作ってきたスープはボーンブロスっていうんだぁ」
「そうだよ!ボーンブロスだよ!というか・・・それって、ラーメンって健康的な食品って言えるんじゃない?」
「俺たちの作ってきたラーメンが健康・・・?そんなこと言われたの初めてだ」
初めての言葉に弟の顔はまだ理解がしきれていない様子だ。
それを見かねてか、兄が話を進める。
「こいつは、ずっと言い続けてきたんだ。俺たちのラーメンはジャンキーじゃない!こんなに手間暇かけたラーメンはもっと体にいいはずなんだ!ってね」
「ラーメンは美味しいけど体に良くないイメージがある。それを覆すラーメンを作ることができたら・・・?」
酒井はポツリと呟いた。
「そうすれば、日本の食文化であるラーメンのイメージがガラリと変わる!新しい食文化として世界中に発信できるぞ!」
興奮した様子で兄貴は喋る。
弟も同時に話し始める。
「それが発信できればラーメン業界の悪いイメージや固定概念を変えることができるかもしれない・・・。俺たちのやってきたことが決して間違いじゃなかったと証明できるのかも」
「よし、そうと決まったら3人でやろうぜ!!」
酒井は思わず立ち上がって大声を出した。
「あぁ、もうこうなったら俺たちでやろう!」
「そうだ!うだうだ言ってたって仕方がない!倒れる時は前のめりで!思いっきり行こう」
千里兄弟も想いは同じであった。
この日たまたまラーメンの行列で前後に立っていただけの男たち三人は、たった一晩にして自分たちの人生を賭けてラーメン店の開業を目指すことになったのである。
第三章 ラーメン作り
「ダメだ!!もっと透明じゃないとダメなんだ!」
そう叫ぶと、酒井は出来上がったばかりのラーメンを一口も口を付けずに流しにぶちまけた。
北海道での出会いから早1ヶ月が経とうとしていた。
彼ら3人はそれぞれの想いを叶えるため、毎日仕事後に集まっては深夜、ラーメンを作り続けていた。
この日のラーメンで試作は500杯を超えていた。
「俺たちは、健康的で最高に美味しいラーメンを提供するんだ!それにはどうしても見た目から健康的に優しいイメージにしないといけない。この透明感のないスープじゃダメだ」
怒る酒井に冷静に接する兄貴。
「酒井、そう怒るな。弟もよくやってる。今までより遥かに丁寧に火加減と寸胴回しをすることでガラを傷つけることなく炊き上げているんだ。」
「だから、ほら見てみろよ」
「昨日まで炊いていたスープに比べ、今日のスープは遥かに透明に仕上がっているよ」
弟も同時に口を開く。
「酒井さん、これ以上は無理だよ。これだけ丁寧に炊き上がることでやっと仕上げた透明スープだけど、合わせるタレが透明じゃないから最後にスープが濁ってしまうんだよ」
「やっぱり醤油味で透明なラーメンを作るのは無理があったんじゃ・・・」
「いや、無理じゃない!!俺たちのラーメンを表現するには透明なラーメンが必要なんだ!決して不正をしていないという証は『クリアさ』でしか表現できないんだ」
「そうは言っても・・・」
そう口を開きかける弟に酒井は鞄からペットボトルを取り出した。
「ほら!今では透明なコーラだってあるだろ! ミルクティもカフェラテですら透明に作れる時代だ!」
そういうと、順番に机に透明なペットボトルを並べる。
「だから、透明な醤油ラーメンも作れるはずなんだ!!」
「わかった、もう一度方法がないか検討してみるよ」
酒井の勢いに負けた兄貴がそう呟くと今日の試食会は終わった。時計は3時の針を指していた。
翌日、寝不足の頭でパソコン作業をこなす酒井に、突然の電話がかかってきた。
「見つけた!!!」
そう勢いよく話すのは兄貴であった。
「見つけた・・・?まだ頭が回り切らない酒井は寝ぼけながら答える」
「そう、見つけたんだよ!透明な醤油を!!!」
「えええぇ!!本当か!??」
その兄貴からの電話を皮切りに、1時間もしないうちに3人は集まった。
弟が丁寧に炊き上げた透明な清湯スープに、兄貴が見つけた特別な醤油に様々な出汁を合わせた作り上げた醤油ダレでぶつけたラーメンは、まさに完璧に透き通った綺麗なクリアラーメンに仕上がっていた。
「見た目は完璧だな、だが問題は・・・」
「味・・ですね。」
そう、弟は呟くと全員にレンゲを配った。
スープをレンゲに掬うとみんなで一斉に飲み干した。
「・・・・・美味いッ!!!!」
鶏ガラのスープは非常に濃厚に鶏の旨みに、フワッと香るのは上品な鶏油の香り。味は透明な醤油をベースに出汁を合わせた醤油ダレは非常に上品ながら、最高の組み合わせに仕上がっていた。
第四章 困難
ついに完成したクリアラーメンだったが、問題は山積みだった。
まずは飲食経営という経験値についてだ。
酒井は広告代理店の経営をしているが、飲食事業に関してはズブの素人。
兄貴もI T業界でエンジニアやマーケティングを担う一方、幼少期から祖父のラーメン店は見ていたが、現場経験はゼロに等しい。
唯一の経験者は弟がずっとラーメン店で修行しているということであった。
そのため、ラーメンの味作りの根幹となる『スープ作り』に関して、弟しかスープ作りができないということであった。
ラーメンの命でもあるスープ。だからこそ、
この味は落とすわけにはいかない。そして私たちのコンセプトは「無添加」でラーメンで健康的な一杯を作るということだった。
そのためには市販で出回っている化成品スープを使うわけには決していかなかった。
「いいよ、兄貴。俺、毎日スープ炊くからさ」
「お前無理言うなよ、今までも炊いていたとはいえ、それをお前一人でこなせるわけがないだろう」
ラーメン店の営業は一般的に11時〜22時までの11時間にも及ぶ営業である。その11時間の間に最低でも60ℓのスープが必要になるのだ。
60ℓのスープ量を作るとなると、8時間以上の作業がかかる。
鶏ガラを洗浄して、血抜きを行うのに1時間。
その後寸胴にガラと水を入れ、閻魔棒で焦げ付かないよう常に寸胴に張り付いてスープを回して炊きつづけるのである。
弟が通常通り営業をこなしながら、1人でスープ作りまで行うというのは現実的ではない。
しかも飲食事業経験のない酒井と兄貴では、最初からラーメン店の運営なんてスムーズにいくわけがないのだ。
「じゃあさ、外注しちゃえばいいじゃん!」
酒井は気軽に答えた。
「でも、スープはラーメンの命。これをよそに頼むなんて・・・」
スープに命をかける職人気質の弟はどうしても納得がいかないようだ。
「でも、どうしようもないだろう!俺たちがスープ仕込みを3人で回していくってのも現実的じゃないんだ」
酒井の口調は荒くなる。
それもそうだ、酒井たちの目指すのは一人でも多くの方に健康的で最高のラーメンを届けるという使命である。つまり、そのためには店舗展開が必要なのだ。
店舗展開を考えた際に、レシピのブラックボックス化を考えていくと3人でスープを作り続けるという仕組みはどうしても現実的ではなかったのだ。
「でもスープメーカーは、科学的に調合したスープもどきを作り上げて提案してくるだけなんですよ!うちはボーンブロスでラーメンを作りたいんです。化成品スープなんてまっぴらゴメンなんです」
一人黙っていた兄が口をひらく。
「・・・いや、それやろう。スープが外注化しよう。それしかないだろう」
「兄貴!まじかよ」
「だって考えてもみろ、俺たちはこの1店舗で終わらす気はない!2店舗3店舗と出店していくつもりなんだ」
「そうだよ、俺たち3人の夢はこの素晴らしいラーメンを一人でも多くの人に食べてもらって、ラーメン業界の常識を覆すことだろう。」
酒井も兄貴の勢いに続く。
「そうだ!それに、今後の展開を考えてもラーメンの命であるスープのレシピを公開して作れる人を増やしていく方が今の時代リスクなんじゃないか?」
「だってそうだろう。ただでさえS N Sが流行する今日、バイトテロでの炎上事件も頻発している。気軽にレシピを公開する人が出てきてもおかしくない」
「そうだな・・、そう考えるとちゃんとした企業で作ってもらったほうが安全ということか」
理論的に捲し立てる兄貴に、ついに職人の弟も折れた。
二人の話がまとまった様子を見て、酒井はニヤリと笑った。
「そうとなったら調べよう!俺たちのコンセプトを理解してくれるメーカーを!」
そこからは業者という業者に問い合わせ、各メーカーと打ち合わせを重ね続ける日々。
自分たちの作り上げたスープを各社に持って行っては、製造可能か協議を重ねていった。
しかし、どこの業者にも断られ続ける毎日。
このクリアなスープを作るには非常に丁寧なスープ製造を求められるため、製造工程の難解さから受けてくれるメーカーが存在しなかったのだ。
もう何十社を回ったかわからない。3人の有給はとうに使い果たしていた。もう闇雲にメーカー周りをできる時間は残されていなかった。
そんな中、麺の相談に乗り続けてくれていた麺工場の社長からこんな話をいただいた。
「そんなこだわり続けたスープなら、一社相談できるとこがあるかもしれないよ。本物のスープ製造に命をかけている変態メーカーがいるんだ。」
「変態メーカーですか・・・?」
酒井は変態メーカーという聞いたこともない響きにゴクリと唾を飲み込んで聞き入った。
「ものすごく良いものを作ってるメーカーさんなんだけど、ここの社長さんがとにかく頑固な職人タイプのオヤジさんでね。下手なこと言うとテメェには売らねえ!って怒るオヤジさんでねー。」
苦笑いしながら社長は話す。
「でも、最近若手の役員が入社したみたいなんだよ。今まで頑固職人一辺倒だった会社にマーケティングを得意とした役員が入社した途端、メキメキと業績が伸びてるって話だ。」
「ってことは、今なら話を聞き入れてくれる体制があるってことですかね・・・?」
酒井は恐る恐る聞いてみた。
「そうだ!今この会社がどういう内情になってるかまではわからない。でも聞いてみる価値はあるかもしれない。怒鳴られるかもしれんが、会いに行ってみるか?」
ニカっと笑うと、社長は豪快にこう告げた。
「は、はい!!ぜひご紹介ください。その会社の名前はなんていうんですか?」
「クックピットっていう足立区にある会社だ。」
「クックピット・・・か。」
第5章 新たな出会い
「じゃあ、君たちの持ってきたスープを見せてもらおうか」
そう話すのは、白髪の男性だ。
「は、はい。これが私たちが作りたいスープです。」
そう告げると、恐る恐る酒井は自分たちのスープを取り出した。
私たち3人はクックピットに来ていた。
麺工場の社長の紹介で会えることになったクックピットは、早い方が良いだろうと翌日にはアポイントを頂くことができたのだ。
しかし、私たちは非常に緊張していた。
「では、早速いただくね」
と告げると白髪の男性の表情は一気に変わった。
60代を超える貫禄のある男性だが、とてもスープメーカーには見えないオシャレな身なりをしているがスープを見る眼光は非常に厳しい。
この男はクックピットの代表を務める本間社長である。
本間社長の横に座る男性は、本間社長の息子ほどの年齢だろうか。
一重の鋭い眼光は、笑っていてもどことなく怒っているようなピリッとした空気を醸し出す男であった。
名は外園副社長という。クックピットに入社半年で役員に昇格したとのことだ。
この男性こそ、麺屋の社長の言うマーケティングを得意とする人のようだ。
この男は隣の本間社長に語りかける。
「社長どうですか?彼らのスープは」
「うむ。ちゃんと炊き上げてるスープだね。ブリックスは2あるかないかって所かな。」
「そうですか、どうですか?作れますか?」
「うーん、できないことはない。が、このこだわりの透明を出すには生半可にはいかないなぁ」
「火加減でどうにかできませんか?」
「バカ言っちゃいけねぇ!そんな簡単な話じゃないんだ。ガラの旨みを溶け出させながら、ガラの濁りを出さない!こんなことは相当な職人技なんだ。店で少量を作るならいざしれず、うちみたいに何トンという量を一気に作り出すメーカーがやれる仕事じゃねんだ!」
(だ、だめかぁ。やっぱりダメだったか・・・)
私たち3人は本間社長のこの話を聞いた瞬間すべてを悟ってしまった。
本間社長の意見を真面目に聞いているのか、外園副社長はニヤッと笑みを浮かべるとクルッと私たちの方を振り向いてこう一言つぶやいた。
「君たちの望むスープを手にできたとして、君たちは何ができる?」
「何ができる・・・ですか。」
まさかの質問に私たちは即答できずにいた。
このスープを手に入れたらなにができる?
このスープさえ手に入れば、私たちはきっと最高のラーメンを作り上げ、一人でも多くの人に届けられるよう店舗を拡大していく。
そして、今までにない概念でラーメン業界の考えを一変させるだろう。
一瞬で頭を整理して酒井は答えた。
「私たちが、ラーメンが健康的に作れるってことを証明させます!」
酒井の咄嗟の言葉に兄弟も驚いたようだったが、
「そうです!僕たちが業界の概念を変えます!」
兄貴が続く。
「僕もずっとラーメンが不健康なイメージに不満があったんです。これだけ丁寧に炊き上げたスープをバカにされているみたいで…」
弟も精一杯の感情を込めてつぶやいた。
私たちの言葉を聞くと、外園副社長は満面の笑みで答えた。
「よし!ならうちがそのスープを用意しましょう!」
「ちょ、ちょっと待て!出来ないって今言ったばかりだろう!」
外園副社長の突然の発言に、本間社長は怒りを込み上げて叫んだ。
そんな本間社長の様子を見慣れているのか、諭すように続ける。
「大丈夫。本間さんならそれが作れるから。あなたはそれをやってのけちゃうんだなー」
「馬鹿野郎!できるわけねえだろう!」
そう叫ぶと本間社長はプリプリ怒って退室してしまった。
「す、すいません・・・私たちのせいで・・」
内心冷や汗ダラダラで酒井は謝罪をした。
「なぁーに、いつものことですよ。大丈夫、本間なら作りますから」
外園は涼しげな表情で答えた。
「そ、そう言うものなのでしょうか・・・」
当時は二人の喧嘩触発の雰囲気に冷や汗ものだったが、今考えると二人の間に信頼関係があったからこその外園氏の発言だったのだろう。
その後、いくつかの会話が終わると私たちはクックピットを後にした。
ミーティングしていた時間は実際30分もなかったかもしれない。
ただ、スープを試食して私たちの熱意を少し語ったに過ぎなかった。
「スープ完成したので、見にきてください。」
そう、外園氏から電話があったので、ミーティングをしてちょうど2週間が経った頃のことだった。
第6章 スープ
「よく来てくれましたね」
そうにこやかに歓迎してくれたのは外園氏ただ一人だった。
「今日、本間社長は・・・?」
「あぁ、本間は自分の仕事が終わったからもう出てこないですよ。ここからは私の仕事です。」
そう笑いながら語った。
私たちは先日の件で、外園氏と本間社長が仲違いしていないか気が気じゃなかったがきっと彼らには日常的なやりとりだったのであろう。
「さぁ、まずは飲んでみてください」
そう外園氏が自信満々にスープを私たちの前に配膳した。
「み、水ですか・・・これ?」
私たちの前に置かれた液体はまさに水にしか見えない代物であった。
ニヤッと笑うと
「百聞は一見に如かず。まずは飲んでみてください」
そう私たちに勧めてくる。
味がしないのではないかという不安を他所にスープを一口口に運ぶと、
「鶏ガラスープだ!!!」
非常に濃厚な鶏ガラ清湯スープの味だったのだ。
しかも味が濃い!私たちが作るスープよりも非常に濃厚だったのだ。
思わず私たちは声を上げた。
「なんなんですかこのスープは!?どうしてこんな濃いんですか!」
「濃縮なんて掛けていませんよ。常圧釜で炊き上げたままの味です。だから嫌な濃縮臭がしないでしょ?」
「本当だ・・・」
一般的にスープの濃度を上げるためには、濃縮機という機械を通すのだ。
濃縮機と言うのは圧力鍋を想像してもらえればいい。圧力の力で短時間で炊き上げ、濃度を高める技術のことを指す。
短時間で製造できるため、コストダウンに繋がるメリットがある一方で、圧力を掛けないといけないためアクが取れず、アクも混ざったスープに仕上がってしまい、エグミと臭いが残ってしまうのだ。
しかし、このスープにはその濃縮を掛けた独特の味わいが一切なかった。
完全に常圧釜と呼ばれる、お店炊きと同じ手法で作られたスープだったのだ。
「美味しいでしょう?そしてあなたたちのスープより2倍高い濃度で仕上げておきましたよ」
ニコニコしながら外園は聞く。
「もちろん美味しいです!しかもより濃厚にですか!最高の出来です!」
私たちはこのスープが欲しくてたまらなかった。
今すぐ持って帰って味付けの実験をしたかった。
そんな私たちを見透かすように外園は続ける。
「このスープが欲しければ、条件が1つだけあります。」
「ついに来たか!」
酒井はそう思った。
このようにオリジナルスープを製造する場合、最初に開発料が発生するという話を聞いていた。今後の出店計画など含めまだお金はそこまで使いたくないのが本音であった。
「開発費の方は、いくらになるんでしょうか・・・?
恐る恐るの質問であった。
「そう、それが条件なんです!」
即答で外園氏は答えた。
「そ、そうですよね・・・」
「開発費はうちで負担します。」
「開発費・・・えっ?」
「その代わり、裏切らないでください。それが条件です。」
「裏切らないと言うのはどう言うことでしょうか・・・?」
いまいち酒井は要呂を得ていなかった。
「私たちクックピットはあなた方が成功するよう全力で応援するつもりです。味の共同開発はもちろん、マーケティングなどお困りごとがありましたら、あなたたちが成功するお手伝いを全力でやります。その代わりスープはうちにずっとやらせてください。急に他所のスープメーカーに変更するって言うのは無しよってこと。守れますか?」
「もちろんです!!!」
外園氏は、酒井の目を真剣に見つめると手を伸ばした。握手の様子だ。
私は両手で外園氏を握りしめ、私たちは固い握手を交わした。
こうして、麺屋ちさとの世界一クリアなラーメンが誕生し、ラーメン業界に革命を起こすべく店舗を開業した。